今回にて最終回を迎える復刻連載「代燃車物語 よみがえる薪バス」。
1992年2月中旬に復元準備委員会が発足し、同年9月20日(バスの日)の公開に向けて社員が一丸となって駆け抜けた半年間。
あとは外装を塗装し、お披露目するだけです!
パテ塗りが終わる(中央バスグループ誌『ふれあい』平成4年9・10月号復刻)
塗装工程に入り、凹凸をならすパテ(下地剤)塗りの作業はボディー全般に渡り、とくに屋根部分のサビがひどく予想以上に難航しました。
板金技術でパテを最小限度に抑えるのが従来の方法ですが、今ではパテの質もよくなり表面の凹凸はパテで修正できます。
最初に練ったパテが乾いたらサンドペーパーで凹凸を削っていきます。40番、120番、240番とだんだん目が細かいペーパーを使用し仕上げていきます。
お盆前には、これにサーフェイサーと呼ばれる、表面をさらに滑らかにする下地塗料を塗りました。
いよいよ塗装
8月17日から22日までの約1週間は塗装にかかりました。塗料は仕上がりの良いウレタンを使用。最初にベースになる色は、白に若干の緑と黄を調色したものを3度重ね塗りして乾燥します。
作業場のブースは30度以上の高温で、作業員は下着まで汗びっしょり。
残りのレッドとブルーはロール紙でマスキングし、後から吹きつけて完了です。
窓ガラス取り付け
既成の窓枠と違うので、型紙でガラスのかたどりをします。切断可能な板ガラスを使用し、耐久性のある合わせガラスにしました。
車内のルームランプは丸形のランプをメーカーに特注で5個、作ってもらいました。
いよいよ大詰め
8月25日からは内装の仕上げに入りました。
壁と天井に化粧板を張り、仕上げにウレタン塗料を塗ってツヤを出します。
シートは紺色のレザーシート。9月2日から取り付けにかかりました。
同時にサイドミラー、手すり、支柱、ルームランプなど細かな備品を取り付け、9月8日にすべての作業を完了。
9月9日、石狩湾新港へ試運転
パンフレット用の写真撮影と試運転を兼ね工場外での初運転。
公道を走ることについては陸運支局に相談し、誘導車をつけての走行ということで、ようやく仮ナンバーが交付されることになりました。
9月12日、入魂式
9月12日、午後3時から札幌整備工場構内で専務・監査役・支社長らが列席し、祭壇にたまぐしをささげ薪バスの入魂式が行われました。
同4時からは完成を祝う祝賀会と復元準備委員会の解散式も同時に行われ、整備工場社員の労をねぎらいました。
本社お披露目
9月14日、札幌整備工場を午前8時45分に出発し小樽に向かいました。もちろん遠出は初めて。ススキがなびく石狩湾新港、手稲山口を時速50~60kmで走行。
順調のように思われましたが新川でストップ、平坦な道路で振動がないため燃料のマキが落ちず、デレッキ(火かき棒)で沈めました。
銭函工業団地を通過し国道5号線へ。ここからが問題の峠。運転する職長が「頑張って、頑張って、ハイハイ」となだめすかすように気合を入れます。一方で左手はしきりに空気の調整。
張碓(はりうす)峠前で後に連なる車を60台ほど通過させ、マキを補充し出発。途中、1分ほどガソリンに切り替えた以外はほとんど薪ガスで走行。
小樽までは片道38.6km、休憩27分、走行時間は1時間30分でした。
天狗山の斜路をマキガスだけで登る
午前11時3分、真栄営業所を出発し天狗山に向かいました。
最大15%という斜度の坂に入ると、エンジンを全開。時速1、2kmと歩くより遅い走行。
あまりにきつい坂のため、ガスの供給が間に合わず小樽工業高校(2018年閉校)前でストップ。約10分ほど止まりガスの濃度を高め、天狗山の駐車場に到着したのは11時35分。
周囲の人たちも動くまでグッと力が入り、動いた時には詰めかけた工業高校の生徒からも拍手が出るほどでした。
午後1時からは中央バス本社前に横付けし、お披露目のあと役員が入って記念撮影を行いました。
バスの日、大通でパレード
9月20日は日本で初めてバスが走った日。この日薪バス「まき太郎」は初めて札幌市内中心部を走ります。
この日のために札幌整備工場は、雪の積もる2月から完成を目指して走り続けました。
当日は降りしきる雨の中、大通西8丁目に各バス会社から集められたユニークバスの展示とパレードが行われました。
その中でもまき太郎は札幌市民、バスマニア、大勢の報道陣に囲まれ人気を独り占めするフィーバーぶりでした。
1992年に完成してから30年以上経つまき太郎。
今も「北海道バスフェスティバル」や、砂川ハイウェイオアシス館で行われる「なかそらち大収穫祭」など各種イベントに登場し、そのレトロかつキュートな姿で訪れた人を魅了しています。
なつかしいけれどかわいくて、とってもおもしろい!そんなまき太郎はこれからも活躍し続けます。
※当記事の内容は2024年9月13日の内容です